2001年10月12日発行 第3号より
小児病棟にて (二十年前の思い出)
前川 育
 
 私の長男は4才で発病し、6才で亡くなるまで、約2年間入退院を繰り返していました。小児がんです。後半の1年を松山赤十字病院で過ごしました。

 小児科病棟の廊下の一番奥に、感染防止のため、ドアで外界と仕切られた四つの個室がありました。夜になると、一日の終わりの開放感があるのか、みんな部屋から出てきて、リモコンカー、ゲーム、ヨーヨーなどで遊び始めます。母親達はおしゃべりタイムです。時には、小児科の先生方もいっしょに遊んで下さっていました。そっと病院を抜け出して、近くの食堂へ行った思い出もあります。抗がん剤で髪は抜け、パジャマ姿の子どもたち。でも、その時はみんな幸せそうでした。嬉しそうな子どもたちの顔を見る私達、母親も幸せでした。

 一人一人にプレゼントを渡して下さった、小児科部長の西林先生のサンタクロース姿、親切な看護婦さん・・・・・。病状が厳しくなり、ベッドから降りることが出来なくなると、ベッドサイドで、研修医の先生が手品をして下さり、主治医の永井先生は、自宅から愛読書のマンガを毎日届けて下さいました。西林先生はその当時、大流行で入手困難なルービックキューブを買ってきて下さいました。長男は大喜びで、毎日これで遊んでいましたので、お墓にいっしょに入れてあります。

 いっしょに楽しく過ごした友達も、みんな天国です。二十年前、痛みのコントロールこそ出来ていませんでしたが、まるで、ホスピスのような病棟で最期の時を過ごせたことが、私の心の救いになっています。今では、疼痛コントロールの技術も進み、もっと楽な終末期を過ごすことが出来るようになりました。改めて、緩和ケア病棟の増えることを願っています。