NPO法人周南いのちを考える会 会報 2007年1月30日発行 第23号より

    いつまでも一緒に
                            小澤 治代

                             
 私の主人は、平成17年9月10日、がんのために45歳で亡くなりました。結婚して5年でした。

 出会って3ヶ月で結婚を決め、平成12年7月7日に入籍。11月には娘も生まれ、幸せな毎日を過ごしていました。

 平成16年2月中旬、血尿が出たのでかかりつけ医を受診し、「結石ではないか」ということで近くの総合病院の泌尿器科への紹介状を書いていただきました。「結石だと思われます」という説明を受け、主人も一緒に行った私も「たいしたことがなくて良かった。」と思っていました。
 しかし、数日過ぎても相変わらずで、1週間くらい過ぎたある日、主人が「背中に激痛が走る。」といって会社を早退して帰ってきました。すぐに病院へ行き、検査。「左の腎臓に腫瘍がみつかりました。」その言葉を聞いても、「まさか・・・・・・。そんな筈はない・・・・・・。手術して取ってしまえば大丈夫。」そんなことが頭を駆け巡りました。翌日に入院し、検査の毎日。CTで肺に転移していることがわかりました。

 3月5日、10時間に及ぶ手術をし左腎臓と副腎を摘出。「眼にみえるがんは、すべてきれいに取れましたよ。」という主治医の言葉を聞き、涙が止まりませんでした。
術後の回復を待って、抗がん剤治療を開始。症例が少ないがんなので、抗がん剤のことをいろいろ調べてくださいました。
主治医であるY先生との出会いは、辛い闘病生活の中で主人にとっては幸せなことの一つでした。最期まで親身になって治療していただき心から感謝しています。

 抗がん剤の治療が開始されると、発熱・吐き気・食欲不振・イライラ感・不眠などの副作用が現れし、身体も心も辛そうで、しんどそうで代わってあげたかったです。抗がん剤は一時的に進行を抑えることはできましたが、肺に転移したがんを消すほどの効果はなく、やがて骨やリンパ節に転移しました。放射線治療もしました。
 がんが進行していき身体のあちこちに痛みが出始め、それがだんだん強くなり思うように身体を動かすこともできなくなりました。
 血管も細くなり、注射の針が入らず注射針恐怖症にもなりました。血液検査の結果が悪く抗がん剤治療もできなくなった頃には、全身にがんが転移していました。
そんな状態にもかかわらず、最期まで生きることを諦めないで頑張ってくれました。そして、最期まで私たち家族のことを思ってくれた人でした。亡くなる3ヶ月前には、家族への思い出のためにと、しんどい身体だったはずなのに下関まで行き、楽しい時間をプレゼントしてくれました。主人はいつも、「家族と一緒に過ごしたいから、できるだけ家で頑張る。」と言ってくれていました。

亡くなる6日前の9月4日
あまりの身体の不調と嘔吐のために入院。24時間の点滴を受け、入院から2日後少しずつ調子が良くなってきました。
9月6日 台風接近のために私は早めに病院から自宅へ帰りました。帰った私にくれた主人のメールです。
14:26
「無事ついて良かった。気をつけてね。こっちはどうにか頑張ります。」
19:57
「熱はないよ。絢(娘)が風邪っぽいから 気をつけてね。明日も待ってるよ。」
9月7日
「家がいい。」という主人の願いをY先生は快くきいて下さって、退院。
9月10日
朝は友人が来てくれて少し話をし、午後はよく眠っていました。その寝顔を見ながら、「たとえ、ずっとこのままでもいい、生きていてくれればそれだけでいい。」と思いました。
主人がとても愛おしかったです。
午後3時過ぎ
主人が「気分が悪い。」と言って目を覚まし、抱き起こし背中をさすってあげていたときに「治代」と私の名前を呼び動かなくなりました。それが、最期でした。
「嘔吐物が詰まり、吐き出す力がもう無かったのではないか。」と後でY先生からお聞きしました。どんなになっても主人は生き続けてくれると信じていたのに、私はパニックでした。

 お通夜、葬儀とばたばたと過ぎていき、すべてが終わり片付いたときには、悲しくて悲しくて 寂しくて寂しくて どうしょうもなく心に 大きな穴がぽっかり開いていました。
 家から出ることも、電話に出ることも、人に会うのも恐かった。
「どうして主人が・・・・・。どうして、がんに気づいてあげられなかったのか・・・・・。
もっと、私にできることがあったのではないか・・・・・・。主人が亡くなったのは私のせいではないか・・・・・。」そんなことばかり考えて、自分が生きていることが許せなくて遺言を書きました。
 そんなとき、「おまえは生きろ。」という主人の声が聞こえました。この不思議な力、家族、友人に支えられ「私は生かされている。」そう感じました。

 主人からもらった私への思い(愛)は、私の宝物です。
主人は亡くなりましたが、私の心に生き続けています。

話すことも手をつなぐこともできなくなったけれど、いつも見守っていてくれる。
主人に心配をかけないように、私らしく笑顔でいたい。

私の心に開いた穴は塞がることはないけれど、
今、穴の周りには陽が射し たくさんの花が咲いている。

主人に感謝 たくさんの人に感謝 たくさんの幸せに感謝。
ほんとうに ありがとう。