2009年9月10日発行 第30号会報記事

我が家の純(犬)のこと
                             前川 育

次女が小学校の1年生の12月に、生後3ヶ月の柴犬(オス)がやってきました。たいていの家庭でおきる「絶対、全部面倒みるから、犬を飼って」です。17年前のことでした。

 名前は、純。子犬のときは、庭を駆け回り、次女と夫は夢中で可愛がり、フライドチキンを買って食べさせるような過保護ぶり。もちろん、散歩も♪

しかし、子犬時代はあっという間です。

ここからは、ひたすら耐える犬、純のお話です。

庭の隅に1.5畳くらいの自由に動ける場所と小屋があります。そこで、1日中、道路を見たり、お昼寝をして過ごしているおとなしい犬でした。

夜、寝る直前になって、「あっ!純のご飯を忘れた!」ということが、何度もありました。キュンとも鳴かず、小屋の前でじっと待ち、やがて諦めて眠るのです。散歩も、連れて行くと大喜び、だけど、行かなくても平気。玄関にどなたかが来られても、全く吠えません。賢くて、我慢強くて、「人間なんて、勝手なものだ」と達観しているかのような態度です。

ある日、柵をどうやって越えたのか、庭で遊んでいました。「キューン、キャイン」(僕、自分の力で柵を出たよ、嬉しい!)と、私に向かって一生懸命報告。「そうなの、すごいね!良かったね〜」と、初めて純と、話をしました。

そんな純も段々耳が遠くなり、目も見えなくなり、「おじいさんになったね」と言っているうちに、食事も、歩くこともできなくなってしまいました。

 1週間くらいその状態が続いたある日、夫が叫びました。「大変だ!純がいない!」小雨の中、ご近所の庭や、散歩道・溝を探しましたがどこにもいません。歩けない・見えない“純”が、どうやって階段を下りたのか、どこにそんな力が残っていたのか、最期をどこで迎えたのかと思うと、心が痛みます。

いつまでも、後悔が残ります。