2007年5月28日掲載

病棟見学記
  独立行政法人国立病院機構 山陽病院 http://www.sanyo-hosp.jp/

癒しの庭造り

 その次の日のこと、NHKの『プロフェッショナル』という番組(再放送)をみました。世界的に有名な日本庭園の庭師・北山安夫さんが、庭造りの哲学を語っていました。「なんでもないっていうことがすばらしい。なぜか知らないけども、振り返ってみたいと思わす庭」「(庭造りが)中途半端では、感動は生まれない」「悲しみのある人、悩みのある人・・・どんな人にも与えられるような、愛のある庭」
 北山さんの庭、画面からの拝見でしたが、無為自然というか、新鮮な空気というか、透明な水というか、そのまますっと心にしみる庭です。そしてその時、私は、北山さんの庭の、そこに漂う「空気」は、どこかの何かに似ていると感じました。「さて、それはなんだったかなあ?どこかでそんな空気を感じたな、それもほんのちょっと前に・・・」。庭の話だったので、すぐには結びつかなかったのですが、程なくして前の日に見学した山陽病院の緩和ケア病棟の「空気」のことだとわかりました。私はその庭に流れる「空気」と病棟の「空気」に通じるものがあると思ったのです。

 緩和ケア病棟見学当日、一歩病棟の玄関(院内独立型病棟なので玄関がある)に入った瞬間、先の言葉を借りるなら、「なんでもない」のです。多すぎず、少なすぎず、主張せず、ちょうど良い「空気」が流れています。具体的に何が?といわれると困るのですが、とにかく全体的な「空気」がそうなんです。「今」、「この場所に」、ゆったりとした時間と空間がそのままあるのです。

 程なくして、看護師長の末廣さんが来られて、病棟の案内をしていただきました。いろいろな設備を見せていただき、アメニティの工夫がたくさんあると感じました。緩和ケア病棟は他の病棟と独立しており、落ち着いた空間になっています。
病室からは美しい瀬戸内海やきらら浜が一望でき、それも、全室1階部分ですから、そのまま前庭に出て散策できます。暖色の廊下には飾り棚付の出窓があり、外観は赤レンガに白壁の地中海スタイルと、視覚的な演出もありました。
見学日はおひなさまが近かったので所々に雛人形がさりげなく飾ってありました。手すり、バリアフリーなどの基本的な配慮ももちろんあります。

 見学の最中、患者さんやスタッフの方々と時々すれ違いました。普通、見学する身としては、「ごめんなさい、おじゃましてます。」と恐縮しそうなものです。しかし、この日はあまりそのような感じが起こりません。病棟の「空気」に見学者という私たち「よそ者」までもが、いつの間にか受け入れられていたのかもしれません。
途中で師長さんは、ある個室にすっと入って、患者さんと少し会話をされ、次に「どうぞ、入ってもいいそうですよ」と私たち11名をお部屋に呼んでいただきました。患者さんは、テレビを楽しそうにご覧になっていたのですが、快く室内の見学を了解してくださったのでした。こういうことはあまり無いことです。これもまた、病棟の「空気」のなせることかもしれません。
 それにしても、この「空気」の源は何なのでしょうか?私にははっきりわかりませんが、そこに関わる人間の姿勢が作り出しているように思えます。

 師長さんには病棟案内後に質問の時間まで作っていただきました。緩和ケア病棟に入る患者さんは、今のところ全てがんの患者さんということでした。病棟の緩和ケア医、看護師などのスタッフ、場合によっては患者さんの以前の担当医にも関わってもらって皆で話し合いを重ね、患者さんにより良い緩和ケアが提供できるよう努力されているそうです。また患者さんの意思と経過を常に尊重されるため、緩和ケア以外を全く否定するスタンスもとられないようです。
 師長さんのお話をお聞きするに、よりよい病棟作りに愛を注いでいらっしゃるように見えました。制度などの事情ですぐには実現できそうにない目標についても、それでも何とかなるように、また現状の中で工夫ができるように、という姿勢をもっておられるのが印象的でした。
また「人の亡くなる光景、家族の姿、そういう場面に居るという体験ができ、学びが多いです」とおっしゃっていたことも印象的でした。

 今回の見学で私たち全員が感動し、またなんともいえない幸福感にも包まれました。先の庭師さんの言葉を借りるならば、病棟に関わるスタッフが中途半端な姿勢ではないから、そこに居る者に感動を生むのではないかと思います。
師長さんの依頼に患者さんが自室の見学を快諾されるという信頼関係が生まれるのではないかと思います。いい「庭」造りをされているのでしょう。そしてそのための見えない努力はいかほどのものかと思います。

 私はホスピスとは、「死に場」ではなく、患者、家族、スタッフの垣根を越えて、関わる者皆の癒しの「庭」や学びの「庭」になりうるものだと思います。そしてそういう場で培われた「いのちの智慧」は、医療とか、病院とかという枠を超えて共有できるものではないかと思うのです。なぜならば、私たちは全員、「○○の私」である前に、いのちある人間だからです。                       (H・Y)


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NPO法人 周南いのちを考える会